おしらせ

女子の車いすバスケット安尾笑選手(S64回)に期待

[2021-08-24]

  いよいよ8月24日から東京2020バラリンピックが始まります。どうか予定通り無事に開催出来ることを心からお祈りいたします。
 女子の車いすバスケットに日本代表で出場する九学出身の安尾笑選手(S64回・2012年卒)の活躍が楽しみです。同競技は男女共に25日から始まります。
   日本の女子初戦は明日25日16時50分からNHKBS1で実況中継されます。相手はオーストラリアです。是非ご声援を宜しくお願いします
 ここに、彼女のこれまでの歩みなどについて書かれている某ネットのブログがありますのでご紹介致します。
(*写真:左が安尾選手、右は平井選手)
BasketballKing<車いすバスケリレーインタビュー 女子Vol.24>
安尾笑「"頑張る心はつぶれない"を胸に東京パラリンピックへ」
[競技人生に欠かせない先輩の存在]
 先天性の障がいで両脚に麻痺がある安尾は、10代の時は松葉杖を使って生活をしていた。3歳からピアノを習っていたという彼女は、スポーツにはまったく関心がなかったという。そんなある日のこと、街を歩いていると、見知らぬ女性に声をかけられた。現在は同じチームの先輩であり、東京パラリンピック出場を目指す選手同士でもある平井美喜(九州ドルフィン・玉名女子校出身)だった。 「一緒に車いすバスケットボールをしませんか?」そう平井に言われたが、首を横に振って断った。当時高校生だった安尾には障がいがあることをプラスにとらえることができずにいた。ましてやそれまでスポーツをしたことがない自分が車いすバスケをやることはとても考えられなかったのだ。
 ところが、その2年後のこと。高校を卒業し、就職をした安尾は"せっかく社会人になったのだから、何か新しいことをやってみよう"と思った。その時ふと頭をよぎったのが、平井だった。 「そういえば車いすバスケに誘われたことがあったっけ? 今までしたことがなかったスポーツに挑戦してみようかな」それが、車いすバスケ人生の始まりだった。その後も、平井から受ける影響は大きかった。始めた当初、安尾には日本代表やパラリンピックのことはまったく頭になかった。しかし当時から日本代表として活躍していた平井の姿に刺激を受け、向上心が高まっていった。
 転機となったのは16年。4月に起きた熊本地震で当時住んでいた実家も親戚の家も被災した。さらに県職員だったこともあって仕事も大変な毎日だった。「日常生活もままならず、仕事のことでもいっぱいいっぱいで、とてもバスケをやろうとか、やりたいという気持ちにはなれませんでした。でも、やっぱり心のどこかで美喜さんと同じ日本代表という舞台で頑張ってみたい、という気持ちもありました」 人生の岐路に立たされた安尾は、決断を下すことにした。悩み抜いて出した答えは、バスケを続けていく道だった。そこで指導を求めて地元の熊本県から大分県に移った。現在九州ドルフィンの指揮官を務める徳永祐政コーチの指導を受けたいと考えたからだった。  
 その2年後の18年、安尾は初めてA代表の強化指定選手入りを果たした。それ以降は常に12人のメンバーに入り、唯一のクラス2.0プレーヤーとして数々の遠征や大会に出場してきた。
[最優先は"チームが勝つために"]
 強化指定選手入りをして4年目となる今年は、安尾が目指してきた舞台がある。東京パラリンピックだ。 「私が車いすバスケを始めた年に東京パラリンピックの開催が決定したんです。当時はまだ想像することもできなかった世界だったのですが、先日ノートを引っ張り出して見たら、"東京パラリンピックに出場する"という目標が書かれてありました。そんなことを書いたなんてすっかり忘れていましたが、改めて今、その目標が叶えられるかもしれない位置にいるんだなぁと思ったら、自分が一番驚いています」  しかし代表活動の3年間は決して順風満帆ではなく、悔しいことの方が多かった。試合で悔しい思いをした時、いつも思い出すのが"頑張る心はつぶれない"という徳永コーチからの言葉だ。 「試合に出ること以外に、チームに貢献できることはあるんですよね。でも悔しい気持ちが勝ってしまうと、周りが見えなくなって今何をしなければいけないのかを考えられなくなってしまう。そんな時に徳永さんの言葉を思い出して"あ、今私の頑張る心はつぶれてしまっているな"と反省して、気持ちを立て直すんです」
 東京パラリンピック後のことはまったく考えられていないが、それでも車いすバスケはずっと続けていきたいと思っている。そのためにも九州の女子選手の競技人口を増やしたいと、地道な活動も行っている。 「街中で"もしかしたら車いすバスケに興味をもってもらえるかな"と思った人には、できるだけ声をかけるようにしているんです。今のところ、それで始めた人はゼロですが(笑)。でも、私自身が美喜さんに声をかけられて2年後に始めたように、いつか思い出してくれて始めるきっかけになったらうれしいなと思います」  今や安尾にとって、車いすバスケは人生の一部となりつつある。
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