おしらせ

日本人収容所からの入学生

[2010-01-14]

第二次世界大戦下の昭和19年に入学した生徒のIさんは、当時アメリカのカリフォルニア州に在住していたが、開戦により日系人ということで強制的に内陸部のアーカンソー州の日系人収容所に隔離されその収容所内の小学校を卒業した。 

昭和18年9月1日にニューヨークを赤十字の交換船のスウェーデンのグリップスホルム号で出港し、大西洋回りで航海しインドで日本の帝亜丸に乗換え11月14日に横浜港に上陸して日本へ送還という数奇な時代の荒波に翻弄されて帰ってきた人である。 

Iさんは、九州学院の在学中は戦後に再開された野球部で華麗なプレイで大活躍された。卒業後は再びカリフォルニアへ帰られた。 

(交換船の記録は学籍簿の日本上陸の記録を元に、交換船のデータから類推したものである、帝亜丸はフランス客船アラミスを昭和17年上海で日本が接収して改名したもので、その後昭和19年8月フィリッピンのルソン島沖で米軍により沈没された)