おしらせ

S11回卒業学年同窓会

[2005-10-29]

平成17年10月29日にS11回卒業者の学年同窓会が開催されました。会場の様子と、参加者の感想を紹介いたします。

118-538x325.jpg全員で記念写真


213.jpg平成12年5月の還暦祝を兼ねた会から5年ぶりでした。下城君の流
暢な司会で会は進み、相変わらず文学界で多忙な中田先生を囲み、校歌を歌い、現況報告をし、ビールを酌み交わしました。賑やかで楽しい雰囲気の会はあっという間に終わってしまいました。
物故者が一割を超えたと言う報告があり、改めて残された人生をどう過ごすのか考えながら、お互いに余生を大事に過ごそうと誓い合いました。この会はお互いの励ましになっただけでなく、かなり若いはずの自分たちが逆に中田先生からエネルギーをもらった会でもありました。ありがとうございました。
男女共学になった母校の更なる発展を祈りつつ全員の健康を願い、再開を期して散会しました。会を作ってくれた鴻池君と林田君その他の諸君に感謝しつつ...。
 船越 隆紀 記 


311.jpg学年記念同窓会に思うこと

同窓会は、60有余人参加して盛大に開催されました。冒頭、恒例により校歌斉唱をしたが、背筋がピーンと張り万感胸に熱きものが迫り伝統ある母校に誇りを覚えるものである。鴻池紘代表挨拶があり、物故者へのご冥福を祈り黙祷して会は始まった。
恩師の中田幸作先生もお元気でご挨拶いただいた。
同会は約5年前の還暦祝い以来で、特に全員名札(卒業写真のコピー付)を付けて非常に分かり易く顔と名前が一致して話が弾み時のたつのも忘れて楽しい一夜を過ごすことができた。
同窓会は卒業以来大小合わせて10回以上開いた。推進者はいつも鴻池紘君である。今回も彼の熱意と呼びかけで4~5回会合した。また約300名への案内書の発送準備、関係者への諸依頼等に奔走したり、当日の手順と役割などは殆どリードしたりで気苦労多であったと思う。しかも、諸事項は皆の意見を尊重する謙虚な態度に感心させられる。あるとき鴻池君が、この辺で世話役交替したいと漏らしたが、彼が呼びかけるから皆が集まり、継続できるのである。卒業してから一貫して行き届いた世話をするのには頭が下がり、何事にも真摯な姿勢と高潔な人柄は万人が認め、少しでも応援や協力できたらと思っている。
当日は早朝から有志によるゴルフコンペを吉田孝夫君が社長でを務めるグランドチャンピオン・ゴルフクラブにて開催した。参加者は15名、集合30分前に既に集まりスタート前から盛り上がり、晴天にも恵まれ全員の協力で楽しいプレーができた。
当ゴルフクラブはかつて熊本国体会場に選ばれた名門コースで、起伏に富み早いグリーンには下手な私でも何回もチャレンジしたいゴルフ場である。勿論彼も参加して賞品の提供などご配慮いただき有意義で思いで多い一日となり感謝しています。
私達は昭和31~34年まで在学した。院長は川瀬清先生、教頭は池永先生で漢文の時間に詩吟があった。その他たくさんの諸先生の顔とお名前が脳裏をかすめたが、大部分が故人となられ時の流れを感じる。
特に学校の思い出は、全校生徒が一堂に会しての朝礼である。賛美歌を歌い、聖書の一説の朗読と教えを聞く、毎朝わずか20分程度であるが3年間講話を聞いた。今思えば社会人としての心構え、人として教養を高める教育に大きな力を与えてもらったと思っている。
同窓生は皆同じで何の遠慮もいらない。気楽にオイコラで話せるので楽しい。最近体力も以前に比べ下降線である。一病息災、健康と家庭を大切にしてお互い励ましあい実年を楽しみたいものである。

徳臣 武紀 記


410.jpg久しぶりに学年同窓会が開かれ、関東・関西からの出席を含め61名が参集、中田幸作先生を囲み旧交を暖めた。内村公春学院長、武藤次男先生、渕田東洋先生よりメッセージをいただき、またハワイ在住の学友などの手紙も紹介された。会費の中からわずかではあるが、九学育英奨学資金に寄付することを確認した。

残念ながら同学年の一割に当たる32名が既に亡くなっている。氏名を読み上げ黙祷をしたが、心は少年でありながらも、身は高齢者と呼ばれる年齢となった。それにしても、九州学院に学び、よき師に会い、よき友人を多数得たことは、わが身の幸せであった。
会に先立ち、有志によりゴルフコンペが行われ15名が参加、盛会だったとのことだった。また、当日は出席できなかったが、30名の方から記念品代などが寄せられた。
学年会の準備に当たり、特に鴻池紘氏、林田光平氏ら数名の世話役が努力奮闘された。諸氏はこれまでも縁の下の世話役に徹せられ、おかげで私達は友情を育み、維持できている。鶴屋の会場正面には九学校旗が掲げられ、後方には、永年鶴屋に勤務された松永英治氏が鶴屋勤務の同窓生などに寄付された九学校旗鶴屋同窓会の旗がかかげられた
開会にあたり校歌を斉唱した。男女共学になり、、校歌の一文字二文字が変わっているということだったが、大声で歌ったので、どこが変わったのかわからないままである。
今回は出席できなかった友人諸氏とも連絡をとりあっていくこと、諸先生と我ら一同の健勝、九州学院にますますの栄光があるように、また、必ず再開することを祈念し、吉田孝夫氏の発生で乾杯、西釜勝利氏の音頭で万歳を三唱した。少年老いやすく学なり難しではあるが、まことに楽しい一夜であった

下城 正臣 記